将棋連盟理事
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1948年にA級八段に昇ると、翌年の1949年に日本将棋連盟の理事(経理担当)に就任し、以後、連盟理事を長年にわたって務めた。会長を1969年5月から1973年5月まで4年間務めた。 1951年(昭和26年)度の第1期王将戦第5局で陣屋事件が発生した際、日本将棋連盟の理事であった丸田は、対局の立会人でもあった。「陣屋事件」を参照 連盟の運営に長く携わった丸田であるが、酒を一切飲まず、宴席を好まなかった。 口の堅さを棋士たちから信頼されていた。棋士のプライバシーを知り得る立場にあったが、決して漏らすことがなかった。 王座戦 (将棋)・王座戦(囲碁)の創設に尽力した。 加藤一二三は、丸田は公平無私の人柄をもって理事・会長の職務を遂行しており、大きな支持を得ていた、と評している。 棋士の給料算定に「点数」を反映するシステムを作り上げた。この「点数」とはタイトル獲得やA級在籍期数といった「顕著な実績」を反映するものであり、「顕著な実績」を挙げた棋士ほど、引退するまで給料が下がりにくくなった。この丸田が作り上げた給料算定システムは非常に複雑で、完全に理解していた者は丸田の他に一人しかいなかったという。
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