専用側線と乙川駅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 08:02 UTC 版)
「中島飛行機半田製作所」の記事における「専用側線と乙川駅」の解説
半田製作所の至近位置にあった武豊線乙川駅は1933年12月7日、無人の簡易駅で開業していた。一方で、半田製作所が生産活動するには材料・部品・支給品等の鉄道輸送が不可欠だった。乙川駅からの専用側線引き込みの手続きを鉄道省に申請したところ、乙川は駅ではなく信号所であり、信号所からは専用側線は出せないとの回答だった。正式の駅にできない理由は、乙川から阿久比川鉄橋までの距離が短く、今の勾配では客車を連結した列車を牽引して蒸気機関車が登りきれないから停車できない、つまり機関車が停まれないから駅にはできないとのことだった。当時乙川にはガソリンカーしか停車できなかった。 そこで機関車が停まれ、正式の駅になれるように、乙川駅一帯を土盛りして高低差を少なくすることになった。費用一切を中島が負担して半田市と連名で所定手続きの上、嵩上げ工事を実施、駅舎も新築した。同時に貨車留置線も多車線設けて国鉄へ寄付した。この乙川駅嵩上げ工事には海底からの泥は使えなかったため、横松地区からのケーブルを用いた盛土運搬によったという。 現在も残る駅舎前の急坂は、乙川駅の嵩上げの証拠である。 乙川駅は1944年4月駅本屋新設営業開始、ホーム延長および貨物側線新設、1945年5月中島飛行機専用線車扱貨物の取り扱いを開始した。
※この「専用側線と乙川駅」の解説は、「中島飛行機半田製作所」の解説の一部です。
「専用側線と乙川駅」を含む「中島飛行機半田製作所」の記事については、「中島飛行機半田製作所」の概要を参照ください。
- 専用側線と乙川駅のページへのリンク