対戦校の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/20 23:47 UTC 版)
ゲイターボウルはその初期から、南部の大学同士、もしくは南部の大学対他地域の大学という対戦となることが多かった。初期の1946年から1952年までは、ゲイターボウルはサザン・カンファレンス代表校と一般選出校との対戦であった。1953年から1994年にかけては、サウスイースタン・カンファレンスやアトランティック・コースト・カンファレンスの所属校同士、もしくはこれらのカンファレンスの所属校と他地域の主要カンファレンス(現BCSカンファレンス)の所属校との対戦が多く設定された。APランキング上位校同士の対戦となることも多く、ローズボウル、シュガーボウル、オレンジボウル、コットンボウルと共に5大ボウル・ゲームとしての地位を確立していた。 しかし、1995年にBCSの前身であるアライアンスが結成されると、ゲイターボウルはコットンボウルと共にアライアンス・ボウルからは外れ、シトラスボウル(現キャピタルワンボウル)と共に、アライアンス・カンファレンスの2位のチーム同士が対戦する、セカンドクラスのボウル・ゲームとなった。この時、ゲイターボウルはアトランティック・コースト・カンファレンスの2位とビッグ・イースト・カンファレンス(現アメリカン・アスレチック・カンファレンス)の2位の大学が対戦するボウルとなった。これがゲイターボウルの地位低下の始まりであった。2006年にはこの契約が更改され、ビッグ・イースト・カンファレンス2位の大学、ビッグ12カンファレンス2位の大学、ノートルダム大学のいずれかとアトランティック・コースト・カンファレンス3位の大学とが対戦するボウル・ゲームとなった。そして2010年のボウル契約更改では、ゲイターボウルはビッグ・テン・カンファレンスの4位もしくは5位の大学とサウスイースタン・カンファレンスの6位の大学とが対戦するボウル・ゲームになり、コットンボウルやキャピタルワンボウルはおろか、1995年時点では格下であったアウトバックボウルやピーチボウルよりも下の地位のボウル・ゲームとなった。
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