対ペラギウス論争における正教の態度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 09:15 UTC 版)
「共働」の記事における「対ペラギウス論争における正教の態度」の解説
ペラギウス主義、半ペラギウス主義に対して正教の立場からはどのように考えるのかについて、そもそもペラギウス論争は西方教会における論争であって東方には僅かな影響しか及ばなかったとされるが、以下、特にウラジーミル・ロースキイによるまとめに従って述べる。 東方は神の恩寵と人の自由意志という二つの契機を分離しない。神の恩寵と人の自由意志は共に現れ、一方が無ければ他方が理解されないというものである。ニュッサのグレゴリオス(ニッサのグリゴリイ)は、恩寵と自由意志は一つの現実の両極であるとしている。 ロースキイによれば、ペラギウス主義は恩寵を「人間の意志の功徳に対して与えられる報い」としたが、ペラギウスの根本的な誤りは、恩寵の神秘を合理的なレベルに移し、恩寵と自由意志とを並列的な離れた二つの概念としてしまったところにあるとされる。恩寵と自由意志とは、本来は一つの精神的秩序に属する現実として一致しなければならない。またアウグスティヌスについても、対ペラギウス論争において、ペラギウスと同様に合理的レベルに立つという誤りを犯し、問題解決を不可能にしたとされる。 ヨハネス・カッシアヌス(イオアン・カッシアン、John Cassian)はこの論点において東方の代表者と看做される。カッシアヌスはペラギウス主義を巡る論争において反ペラギウス的でありかつ反アウグスティヌス的であった。こうしたペラギウス、アウグスティヌスの両者いずれにも与しないカッシアヌスの態度は半ペラギウス主義と看做され、教説については異端宣告まで出された。しかし東方では伝統の証人として評価されている。カッシアヌスはベネディクトゥスよりも前に、西欧の修道院制の父となった。
※この「対ペラギウス論争における正教の態度」の解説は、「共働」の解説の一部です。
「対ペラギウス論争における正教の態度」を含む「共働」の記事については、「共働」の概要を参照ください。
- 対ペラギウス論争における正教の態度のページへのリンク