富山青年師範学校とは? わかりやすく解説

富山青年師範学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/19 18:10 UTC 版)

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富山青年師範学校(とやませいねんしはんがっこう)は、第二次世界大戦中の1944年昭和19年)に、富山県に設置された青年師範学校である。

概要

  • 1936年(昭和11年)設置の富山県立青年学校教員養成所を前身とする。
  • 第二次世界大戦後の学制改革で、富山師範学校と共に富山大学教育学部(現・人間発達科学部)の母体となった。
  • 同窓会は 「富山大学教育学窓会」 と称し、旧制(富山青師・富山師範)・新制(教育学部)合同の会である。

沿革

  • 1925年3月:富山県立実業補習学校教員養成所富山県師範に併設。
  • 1932年:教員過剰により廃止。
  • 1936年3月:富山県立青年学校教員養成所として発足(2年制)。
    • 富山県産業講習所内に設置。
  • 1944年4月:官立移管され富山青年師範学校となる(本科3年制)。
  • 1946年4月:中新川郡雄山町(現・立山町)に移転。
  • 1947年4月:女子部を開設。
  • 1949年5月:国立富山大学に包括され、教育学部の母体の一つとなる。
  • 1951年3月:富山大学富山青年師範学校(旧制)、廃止。

歴代校長

  • (兼)福富正吉:不詳 - 1945年1月25日[1] ※本職:富山師範学校
  • (兼)伊東法俊:1945年1月25日[1] - ※本職:富山師範学校長

校地の変遷と継承

前身の富山県立青年学校教員養成所は富山県産業講習所(富山市太郎丸)内で発足し、後身の官立富山青年師範学校も同地を使用した。第二次世界大戦後の1946年4月、中新川郡雄山町(現・立山町)の五百石国民学校記念会館に移転。1948年4月、同町前沢に新校舎が完成し移転した。同校地は新制富山大学教育学部に引き継がれ、分教場として1951年8月まで使用された。その後、校地は富山県立雄山高等学校に引き継がれて現在に至っている。

著名な出身者

脚注

  1. ^ a b 『官報』第5407号、昭和20年1月26日。

関連項目

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