富士山とかぐや姫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 14:24 UTC 版)
「大宮・村山口登山道」の記事における「富士山とかぐや姫」の解説
大宮・村山口登山道およびその関連地には富士山とかぐや姫を結びつける伝承地がある。富士山南麓(富士宮市・富士市)の各寺社にはかぐや姫説話を含む富士山縁起が伝わっており、それぞれ内容を異にする部分がある。成立が古い富士山縁起には村山の往生寺や末代上人が登場しており、これら古例の富士山縁起は村山修験(富士山興法寺)の中で伝えられたものであるとされることが多い。 富士山縁起中のかぐや姫の表記には「赫夜妃」「赫夜姫」「爀夜姫」等が認められる。これら富士山縁起は村山浅間神社や杉田安養寺(共に静岡県富士宮市)、東泉院(同県富士市、廃寺)といった寺院に伝来し、富士山南麓に有意に多い。また「富士山禅定図」の村山の箇所には「中宮(八幡堂)」が記されているが、この中宮は富士山縁起の諸本(村山三坊池西坊本『富士山縁起』、円成筆『富士山大縁起』等)におけるかぐや姫説話の舞台であり、富士山の洞窟へと入るかぐや姫と翁が最後の別れを行う場所として記される所である。また当図に「冠石」(富士宮市域)の記載があり、富士山縁起ではかぐや姫の後を追い富士山に登った帝が諦めて冠を落としたものがそのまま石になったものだと伝えている。 このように富士宮市および富士市はかぐや姫説話の残る地域であり、「富士山大縁起」中の「五社記」(1560年成立、東泉院資料、頼恵筆)では滝川神社(富士市)を「愛鷹 赫夜妃誕生之処」としている。他に憂涙河の説話等が知られる(潤井川と富士山縁起)。このような、赫夜姫が浅間大菩薩(浅間大明神)の示現として現れる筋書きを持つ富士山縁起諸本が富士山南麓に点在しており、富士宮市や富士市はその舞台の地であった。 宝歴7年(1757年)頃に比定される「村山浅間神社七社相殿」に村山浅間神社の相殿における祭神が記されているが、浅間神社の祭神として「赫夜姫」を挙げている。このようにかぐや姫を浅間神社の祭神とし、富士山縁起に組み込まれるだけの由緒があったと言える。
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