村山口の階層・合目
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 14:24 UTC 版)
「大宮・村山口登山道」の記事における「村山口の階層・合目」の解説
富士山の登山道は現在でも「合目」という区分が設けられているが、それは旧来も同様であった。現在は十合であるが、中世以前の村山口は八合であったとされる。冨士滝本往生寺(村山)にて書写したと奥書にある『浅間大菩薩縁起』には「八層はいわゆる頂上なり」とあり、中世の村山修験においては八層の階層で考えられていたことが分かる。また東泉院(富士市、現在廃寺)に伝わる『富士山大縁起』には「八層を立て」とある。 このうち富士山縁起諸本では冠石(「富士山とかぐや姫」を参照)の所在は「五層(合)目」としている。このように中世の村山の記録では「八層」が唱えられているものの、同じ村山であっても近世の「富士大縁起」(池西坊)では六道に声門・緑覚・菩薩・仏を加えた「十」を階層としている。また同じく近世の記録である羽倉簡堂『東遊日歴』では一ノ木戸(御室大日堂)が一合であり、ここから山頂までの間で十合に分かれていると記している。このように近世には十合の階層観が一般化していたと言える。
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