宿と靡とは? わかりやすく解説

宿と靡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/07/31 13:49 UTC 版)

備宿」の記事における「宿と靡」の解説

修験道においては、抖擻(とそう、山林中を自らの足で歩いて修行する)による廻峯行(かいほうぎょうが行われた。中世英彦山教義書『彦山修験秘訣印信口決集』には廻峯行のための峯中路を「修行(シコノヲ)」「路(ナビキ)」と呼び、『修験頓覚速証集』では「修行(シコノヲ)」「踞(ナボキ)」と呼ぶなど、峯中路そのものを「修行」と呼ぶほどに山岳修行重視されていた。 峯中路には宿(しゅく)と呼ばれる霊地ないし行所設けられた。宿という用語の初見長承2年1133年)付の『金峯山本縁起』であり、今日に言う大峯奥駈道上に120箇所あるとし、そのうち81箇所明記している。宿は、峯中路沿って設けられ、その数は信仰上の意味や山林中での行動都合勘案して設定された。本来、宿には神霊祖霊迎える場所としての味があるが、実際にはやや異な機能持った2種分化している。ひとつは、修法勤行の場としての宿であり、もうひとつ宿泊参籠)の施設となる宿であって前者には小祠堂や自然崇拝物大樹巨岩など)が、後者には神社・寺院多用されるしかしながら、後に中世末から近世初頭にかけて距離単位としての「里」をもナビキと呼ぶようになり、さらに山岳修行自体低調となってゆくにつれ、ナビキの語の峯中路としての意味が薄れたナビキの語は、吉野から熊野まで七十五里あることを表す「大峯七十五里」といった言葉中にのみ残るようになり、かつてとは意味が反転して七十五里の距離に対して霊場充てるようになった今日大峯奥駈道行場をさして宿ではなく靡(大峯七十五靡)とよぶのはこうした消息よるものである。

※この「宿と靡」の解説は、「備宿」の解説の一部です。
「宿と靡」を含む「備宿」の記事については、「備宿」の概要を参照ください。

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