家格
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 13:08 UTC 版)
門地二品の成立とともに、郷品三品以下の貴族たちとの格差が激しくなり、この間に太い線が引かれることになった。西晋の終わりごろには、上級貴族(門地二品)・下級貴族・上級庶民(官職に就く庶民)・下級庶民という区分ができ上がることになる。上から甲門・次門・後門・三五門などと呼ばれる。 貴族社会において家格の上下は非常に重要である。婚姻も基本的に同格の間でしか認められず、下の家格との婚姻は自らの家格を下げることになるので、その際には下の家から相応の財物が対価として与えられるのが常であった。また母親の出身家格が低い場合には、その子はたとえ長男であっても嫡子にはなれず、冷遇を強いられることになる。 唐の太宗は貞観6年(632年)に家格を書物にまとめることを命じ、これによりできたのが『貞観氏族志』である。初め、山東貴族である博陵崔氏の崔民幹が一等とされ、唐李氏は三等に格付けされた。これに怒った太宗は作り直しを命じ、李氏を一等に、独狐氏らの唐の外戚を二等に、山東貴族らを三等に付けた。これは当時において李氏ら関隴集団が山東貴族に比べて低く見られていたことを示し、また本来国家による容喙を許さないはずの家格が国家によりある程度コントロールされるようになったということを示し、貴族勢力の退嬰を示す。
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