宮内婦貴子とは? わかりやすく解説

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宮内婦貴子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/20 03:52 UTC 版)

宮内 婦貴子(みやうち ふきこ、1933年2月27日 - 2010年2月16日、本名:杉本婦貴子[1])は、日本脚本家[2]

来歴

1933年(昭和8年)2月27日静岡県三島市に生まれる[1]。元々は小説家になりたかったという[3]神奈川県立横浜立野高等学校(入学時は神奈川県立横浜第二高等女学校)を卒業後は人形劇団に入る[3]。たまたまCM会社に勤務する友人を訪ねると、ちょうどレジスターのCMの台本を書いている時で「あなたもやってみない?」と誘いがあったという[3]。そこでCMライターになろうと思ったが、どうせなら脚本家を目指せばという話になり、紹介された東宝のプロデューサーから勧められて[3]シナリオ研究所に入所、その後東宝シナリオ研究生を経て日活と契約[4]

1963年(昭和38年)、映画『どん底だって平っちゃらさ』で脚本家デビュー。テレビドラマの初仕事は1965年(昭和40年)のフジテレビのドラマ『佃煮の唄』[3]。その後フリーランスに転向し、数々のドラマ脚本を手がけた。1976年(昭和51年)に東京から神奈川県湯河原町に居を移す[3]2010年(平成22年)2月16日肺気腫のため死去、76歳没[1]

主な作品

テレビドラマ

テレビアニメ

映画

著書

  • 『おさびし山のさくらの木』
  • 『命ささえて』読売新聞社 1995
  • 『ピュア・ラブ』全3巻 毎日新聞社 2004-05
  • 『ディア・ゴースト』毎日新聞社 2007

脚注

  1. ^ a b c 宮内婦貴子さん死去 脚本家 - 47NEWS(共同通信) 2010年2月18日
  2. ^ コトバンク(「講談社 日本人名大辞典」)
  3. ^ a b c d e f 週刊テレビ番組(東京ポスト)1986年8月29日号「脚本家の横顔」71頁
  4. ^ 「新訂 現代日本女性人名録」

外部リンク




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