宮中の反応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 14:55 UTC 版)
8月25日、徳大寺実則内大臣・侍従長が帝国教育会に対し、演説の草案を提出するよう求めた。新聞ではこれが明治天皇の意思に基づくものであるという報道が行われたが、徳大寺は個人的な要望であるとして否定した。翌8月26日に尾崎から提出された速記録を読んだ徳大寺は、内容には問題が有ると判断した。8月27日に徳大寺は天皇からの命を携えて大隈首相に会っているが、内容は明らかになっていない。8月31日、田中光顕宮内大臣は「此件に就き宮内省は何等尾崎氏に悪感を抱くものにあらず」「此件に関し若し陛下の逆鱗ましますやうのことあらば、吾輩は之を諌止し奉つらんとこそすれ、決して文相を陥るる如きことはせじ」と宮内省側から問題にすることはないと述べた上で、世論・衆議院・貴族院が問題にすることには関知しないという声明を行った。新聞「日本」はこの発言を掲載し、世間では田中宮内大臣が速記問題を取り上げたと噂しているとコメントを付けている。
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