宮下文書とは? わかりやすく解説

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宮下文書

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/24 04:21 UTC 版)

宮下文書(みやしたもんじょ)とは、富士山の北麓、山梨県富士吉田市大明見(旧南都留郡明見村)にある北東本宮小室浅間神社(旧称・阿曽谷宮守神社)の宮司家だった宮下家に伝来した古記録古文書の総称[1]。「富士宮下文書」「富士古文書」「富士古文献」、また相模国寒川神社に保管されていたと書かれていることから「寒川文書[2]寒川日記[3][4]などとも称される。

概要

歴史

  • 宮下文書は1883年(明治16年)に前述の宮下家で発見された[1]。1883年より以前の宮下文書の存在は、2025年現在で確認されていない[1]
  • 1921年大正10年)6月25日には、宮下文書をもとに三輪義熈が著した概説書(ダイジェスト版)となる『神皇記』が隆文館から発行された[5][6]1986年昭和61年)2月に影印本である『神傳富士古文獻大成(神伝富士古文献大成)』全7巻が八幡書店から発行されている。2011年平成23年)3月に、神奈川徐福研究会・神皇紀刊行部会から『現代語訳 神皇紀』が刊行されている。
  • 延暦噴火を始めとする富士山の噴火に関して、正史に書かれていない記述が多数あることから、富士山の噴火史を埋める文献として研究されたことがある[7]

偽書

  • 神武天皇が現れるはるか以前の超古代、富士山麓に勃興したとされる「富士高天原王朝」に関する伝承を含み、その中核部分は中国・から渡来した徐福が筆録したと伝えられている[1]。だが、その信憑性については疑いがもたれており、偽書や、いわゆる古史古伝の代表例に挙げられる[1]
  • 2007年に石川博が発表した「俗文学」『山梨県史―通史編4 近世2』では、宮下文書について文体漢語万葉仮名を併用した記紀風のもので、筆者・成立事情は不明とされている[8]助詞の用例や発音など言語的特徴から幕末期の成立であるとも考えられている[9]
  • 伊集院卿が2014年に出版した『富士王朝の謎と宮下文書: 日本一の霊峰に存在した幻の超古代文明に迫る!!』では、徐福がインドに行って仏教を学んだ、などという歴史的には考えにくい、誇張的な伝承も含まれていて、偽書批判は完全にかわすことはできない、と述べられている[10]
  • 2017年に神奈川徐福研究会定例会の伊藤健二が発表した『富士古文献(宮下文書)概要と真贋問題』では、「これが本当に徐福が書いた文章そのものであると考える者 は、富士古文献を支持する研究者も含めて現在ほとんどいない。理由は文体が現代文に近いし、書かれている内容も近代の知識が入り込んでいるからだ」、『使われている言葉や動詞や文法などが近代のものであるため、 学術研究の対象とはならないが、「偽書学」の立場では学術研究がなされている。なお、「偽書学」とは、偽書であることを暴くのが目的ではなく、偽書が存在するという歴史 的事実を受け止め、それがどのような精神世界を体現したものなのかがなどの背景の研究を目的としている 』と述べられている[1]
  • 2017年に出版された『偽史と奇書が描くトンデモ日本史』では、「(宮下文書に登場する)木花咲耶姫(このはなさくやひめ)が富士の火口に飛び込んで富士山の不護身となる、という印象的なエピソードについても、木花咲耶姫が富士山の神とみなされるようになったのは江戸時代初期からであり、このことからも、文書は近世以降に成立したものであるという見方が強い」と述べられている[11]

宗教

  • かつてオウム真理教の教祖・麻原彰晃松本智津夫死刑囚)が富士山麓に教団本部を構えることを決めたのは、オカルト雑誌『ムー』に掲載された宮下文書特集の影響であるという説もある[12]。 『それでも心を癒したい人のための精神世界ガイドブック』(1995年太田出版)の中の対談記事の中で、宗教学者で中央大学教授(当時)の中沢新一が「麻原彰晃が上九一色村を選んでいるということは、『秀真伝(ほつまつたえ)』とか古史古伝の問題が絡んでいると思います。麻原彰晃の座右の書というのは、『虹の階梯』という本、『富士宮下文書』つまり富士超古代文明についての文章です」と述べている[6][13]
  • 2009年に設立された新興宗教「不二阿祖山太神宮」は、由緒として前述の『神皇記』を根拠としているが、不二阿祖山太神宮の創始者である渡邉政男(渡邉聖主)は東京の生まれであり、宮下文書が発見された宮下家、および北東本宮小室浅間神社とは直接の関係はない[12]。また、渡邉は、かつて存在したと宮下文書に書かれている阿祖山太神宮の宮司の後継者一族ではなく、神道の神職でもなかった[12]

構成

以下の構成は『神皇記』による。

  • 第一編 神皇之巻 神皇
    • 第一章 総説
    • 第二章 前紀 神祇
    • 第三章 正紀 神皇
    • 第四章 後紀 人皇
  • 第二編 神宮之巻 神皇即位所
    • 第一章 総説
    • 第二章 阿祖山太神宮
    • 第三章 余論
  • 第三編 宮司之巻 神皇書保存者
    • 第一章 緒言
    • 第二章 神皇書保存大宮司(正篇)
    • 第三章 神皇書複写保存大宮司(続篇)
  • 第四編 徐福之巻 神皇書記録者
    • 第一章 上篇 秦徐福
    • 第二章 下篇 神皇書
  • 附録系譜
    • 第一章 神代系譜(神皇紀 第一編 第二編参照)
    • 第二章 応神天皇大系譜(神皇紀 第三編参照)
    • 第三章 武内宿禰大系譜(神皇紀 第三編参照)
    • 第四章 秦徐福大系譜(神皇紀 第四編参照)
  • 附録図面
    • 第一章 神代全国略図
    • 第二章 高天原附近略図
    • 第三章 高天原実景古図

脚注

  1. ^ a b c d e f 富士古文献(宮下文書)概要と真贋問題”. 神奈川徐福研究会定例会資料. 2025年3月24日閲覧。
  2. ^ 神皇紀(富士古文書)に記されている日本の古代と徐福について、神奈川徐福研究会
  3. ^ 三輪 1921, p. 437.
  4. ^ 神皇紀に記されている寒川神社について、神奈川徐福研究会定例会、2017年10月18日
  5. ^ 『神皇記』隆文館、1921年6月。 
  6. ^ a b 富士古文献の謎を解く -宮下文書研究の現在-”. 富士山徐福学会・富士山伝承文化まちづくりの会 講演資料. 2025年3月24日閲覧。
  7. ^ 小山 1993, pp. 9–34.
  8. ^ 石川 2007, p. 603.
  9. ^ 石川 2007, pp. 603–604.
  10. ^ 伊集院卿『富士王朝の謎と宮下文書: 日本一の霊峰に存在した幻の超古代文明に迫る!!』学研パブリッシング、2014年3月。 
  11. ^ 原田実、オフィステイクオー『偽史と奇書が描くトンデモ日本史』実業之日本社、2017年1月。 
  12. ^ a b c 藤倉善郎 (2017年10月10日火曜日). “やや日刊カルト新聞: 安倍昭恵夫人が名誉顧問のイベント、代表者は新興宗教の教祖様=衆院選候補者も多数が役員に”. やや日刊カルト新聞. 2025年3月24日閲覧。
  13. ^ いとうせいこう, スガ秀実, 中沢 新一『それでも心を癒したい人のための精神世界ブックガイド』太田出版、1995年12月。 

書誌情報

影印本

概説書

報告書

研究書

参考文献

関連文献

関連項目

外部リンク




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