石船神社とは? わかりやすく解説

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石船神社

読み方:イシフネジンジャ(ishifunejinja)

教団 神社本庁

所在 山梨県都留市

祭神 表筒男命 ほか


石船神社

読み方:イワフネジンジャ(iwafunejinja)

別名 明神様

教団 神社本庁

所在 新潟県村上市

祭神 水波女命 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

石船神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 08:17 UTC 版)

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石船神社
所在地 山梨県都留市朝日馬場442番地
位置 北緯35度33分47.0秒 東経138度58分22.9秒 / 北緯35.563056度 東経138.973028度 / 35.563056; 138.973028 (石船神社)座標: 北緯35度33分47.0秒 東経138度58分22.9秒 / 北緯35.563056度 東経138.973028度 / 35.563056; 138.973028 (石船神社)
主祭神 表筒男命 中筒男命 底筒男命
神体 頭蓋骨?、石の船
社格 村社
創建 不明
本殿の様式 流造り銅葺
例祭 1月15日、8月1日
地図
石船神社
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石船神社(いしふねじんじゃ・いしぶねじんじゃ)は、山梨県都留市朝日馬場にある神社。表筒男命、中筒男命、底筒男命を祭神とする。「ムササビの棲む神社[1]」として知られている。

概要

1337年延元2年)に高根山の頂上に石船明神として社を建立。眺めはよいが、参拝や祭典に危険であるとして1594年文禄3年)に現在地に移して、社殿を建立した。

研究家の原田実は、石船神社と護良親王の関係は「宮下文書」によって作られた嘘であると指摘した[2]

社殿

境内は200坪あり、本殿(流造り銅葺、屋根両側に菊の御紋章がある)、拝殿(入母屋トタン葺、拝殿より廊下を経て本殿に至る)、舞殿(入母屋トタン葺)、神庫(一棟コンクリート、ブロック造)、神灯(本殿前一対、拝殿前一対)、鳥居(石造一基)[3]

脚注

  1. ^ 都留市教育委員会・都留市博物館.
  2. ^ 『偽書が描いた日本の超古代史』KAWADE夢文庫、2018年10月。ISBN 978-4309485027
  3. ^ 都留市文化財審議会 1979.

参考文献

  • 『都留市ウォーキングブック:まるごと博物館つる』都留市教育委員会・都留市博物館。 NCID BB07001319
  • 『角川日本地名大辞典・19 山梨県』角川書店、1984年10月。
  • 『都留市社記』都留市文化財審議会、都留市教育委員会、1979年3月。

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