宮下文夫 (陸軍軍人)とは? わかりやすく解説

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宮下文夫 (陸軍軍人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/28 13:54 UTC 版)

宮下 文夫
生誕 1892年11月11日
日本 福島県
死没 (1963-04-01) 1963年4月1日(70歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1913年 - 1945年
最終階級 陸軍中将
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宮下 文夫(みやした ふみお、1892年明治25年)11月11日[1] - 1963年昭和38年)4月1日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

1892年(明治25年)に福島県で生まれた[1]陸軍士官学校第25期卒業[1]1938年(昭和13年)7月4日駐蒙軍高級副官となり[2]7月15日陸軍歩兵大佐に進級[2]日中戦争に出動した[1]1939年(昭和14年)に仙台陸軍教導学校学生隊長を経て[2]1940年(昭和15年)に歩兵第83連隊長に就任し[2]、中国戦線に復帰。中原会戦に参加、濁流の黄河を渡河し戦果を収めた[1]

1942年(昭和17年)に陸軍少将に進級し[2]、第8独立守備隊長に転じた[2]1943年(昭和18年)に第1歩兵団長を経て[1]1944年(昭和19年)に独立歩兵第11旅団長に就任[1]武漢北方の警備に当たった[1]1945年(昭和20年)4月に陸軍中将に進級し、第160師団長に親補される[1]朝鮮群山の警備に当たったが[1]、同年5月23日朝鮮軍管区司令部附となった[2]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]

栄典

勲章

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k 福川 2001, 706頁.
  2. ^ a b c d e f g 外山 1981, 336頁.
  3. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」84頁。
  4. ^ 『官報』第5148号「叙任及辞令」1944年3月14日。

参考文献

  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 



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