実行犯の証言・告白
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/03/13 14:55 UTC 版)
「杉並区役所投票所襲撃事件」の記事における「実行犯の証言・告白」の解説
事件から30年ほど経過した1995年、当時現場にいた元創価学会幹部(以下A)が週刊誌に事件の真相を証言した。Aによれば投票終了後、公明党候補者の看板を片づけ、総ブロックの拠点に帰ったところ突然、練馬会館から“参謀室長(市川雄一)が、共産党員にやられている”という一報が入った。拠点にいた男子部員は、桜台の練馬区第4投票所に向かう。投票所に着くと、周囲には学会男子部員が百人ぐらいが駆け付けていた。Aは投票所の中に入るが、そこには選挙管理委員たちを相手に、市川雄一と青柳参謀2人が罵詈を浴びせている光景があった。またこの現場で誰が発言したかわからないが、“おれは伊藤惣助丸の秘書だ。”という怒鳴り声も聞こえ、中では市川と青柳が“投票させろ!”選管は“いや、だめだ”との言い争いが続いた。その後市川は本部に電話をするため外へ出たが血気盛んな男子部はやっちゃえという感じで、選管の人を殴る蹴ると暴行し、選管の人は口から血を噴き出していた。本部から練馬会館に集合との指示が出たため、創価学会の練馬会館へ移動、移動先にいた市川から男子部によくやったとの激励を受けたという。その後学会幹部から(このままでは参謀室長が指名手配される)何人か(市川を守るため身代わりに)自首せよということになった。幹部から「お前、(身代わりに)どうだ」と男子部員に声をかけたが皆が断ったため、最終的に当時自営業を営んでいたAともう一人が自首した。自首の際、Aは公明党幹部や学会幹部と打合せし「Aは学会員ではなく共産党を強く憎んでいる一市民」であることそして党本部からは(事件の真実は)「生涯、しゃべるな」と強要された。
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実行犯の証言・告白
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 07:09 UTC 版)
「練馬区投票所襲撃事件」の記事における「実行犯の証言・告白」の解説
事件から30年ほど経過した1995年、当時現場にいた元創価学会幹部(以下A)が週刊誌に事件の真相を証言した。Aによれば投票終了後、公明党候補者の看板を片づけ、総ブロックの拠点に帰ったところ突然、練馬会館から“参謀室長(市川雄一)が、共産党員にやられている”という一報が入った。拠点にいた男子部員は、桜台の練馬区第4投票所に向かう。投票所に着くと、周囲には学会男子部員が百人ぐらいが駆け付けていた。Aは投票所の中に入るが、そこには選挙管理委員たちを相手に、市川雄一と青柳参謀2人が罵詈を浴びせている光景があった。またこの現場で誰が発言したかわからないが、“おれは伊藤惣助丸の秘書だ。”という怒鳴り声も聞こえ、中では市川と青柳が“投票させろ!”選管は“いや、だめだ”との言い争いが続いた。その後市川は本部に電話をするため外へ出たが血気盛んな男子部はやっちゃえという感じで、選管の人を殴る蹴ると暴行し、選管の人は口から血を噴き出していた。本部から練馬会館に集合との指示が出たため、創価学会の練馬会館へ移動、移動先にいた市川から男子部によくやったとの激励を受けたという。その後学会幹部から(このままでは参謀室長が指名手配される)何人か(市川を守るため身代わりに)自首せよということになった。幹部から「お前、(身代わりに)どうだ」と男子部員に声をかけたが皆が断ったため、最終的に当時自営業を営んでいたAともう一人が自首した。自首の際、Aは公明党幹部や学会幹部と打合せし「Aは学会員ではなく共産党を強く憎んでいる一市民」であることそして党本部からは(事件の真実は)「生涯、しゃべるな」と強要されたとしている。
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