宗嚴とは? わかりやすく解説

宗厳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/07 10:10 UTC 版)

宗厳(そうごん、天正3年(1575年)? - 寛永5年(1628年))は、李氏朝鮮の人物。日本で出家して僧となり、西雲院を開山した。


  1. ^ 西雲院蔵「当院縁起並寄進帳」より


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宗厳

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紫雲石」の記事における「宗厳」の解説

戦国時代から江戸時代初期武将滝川雄利は、豊臣秀吉により3万石賜ったが、関ヶ原の戦いには西軍として参戦し敗れて領地没収させられた。後に徳川氏近侍し、1610年慶長15年常州片野1万石を賜った滝川雄利金戒光明寺に、息女戒名龍光院殿花顔芳春禅定尼」から名を取り黒谷龍光院という塔頭作った。 この息女仕えていたのが宗厳である。北政所が宗厳を羽柴下総守瀧川雄利)の息女召し使いにした。この息女に宗厳はまめまめしく仕えたが、宗厳30歳のとき、息女17歳死んだ人生無常感じて出家して11年修行の後、黒谷帰ってきた宗厳は、紫雲石金戒光明寺27世の了的により授けられ西雲院開山した。一心不乱に念仏唱える宗厳の下には多く僧侶集まり、また多く寄進集めたという。千日念仏回向、そして宗厳死後も、念仏回向、3念仏回向、4念仏回向100年)と続けられた。

※この「宗厳」の解説は、「紫雲石」の解説の一部です。
「宗厳」を含む「紫雲石」の記事については、「紫雲石」の概要を参照ください。

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