女性の太子信仰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 00:52 UTC 版)
仏教には変成男子の思想があり、女性のままでは成仏できないとされていたが、そのような中でも女性は男性と同様に太子を信仰していた。 10世紀後半に尊子内親王の為に作られた仏教説話集『三宝絵詞』には、『伝暦』を底本とした太子伝が記されている。また、13世紀初頭成立の『発心集』に記される「ある女房が四天王寺の西の海で入水した」の記述や、12世紀末成立の『梁塵秘抄口伝集』に記される「播磨国高砂の遊女四郎君が、太子の今様を謳って往生を果たした」とする記述など、身分を問わず女性の信仰も集めていたことが記録に残っている。 道明寺の孝養像は、像内納入遺品により叡尊の法弟子であった尼僧約90名による造立であった事が分かっているが、女性のみによる仏像の造立は珍しい。その勧進主は了鏡という女性であるが、稚拙な願文から出自は庶民階級と考えられ、元寇襲来での戦没者と戦争未亡人の極楽往生を祈願した像と考えられる。
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