女性の学校創立者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 14:03 UTC 版)
「エリザベス・アン・シートン」の記事における「女性の学校創立者として」の解説
エリザベスは、数年間いくつかの試行錯誤を続け、困難な年月を過ごしたが、それでも彼女は努力し続けた。その後、エリザベスは1809年に聖スルピス会から誘われ、メリーランドのエミスバーグに移住した。一年後にエリザベスはセント・ジョゼフス・アカデミー・アンド・フリー・スクール(Saint Joseph's Academy and Free School:聖ヨゼフ学園と自由学校)を設立した。これはカトリックの女子教育に専心した学校だった。財政的支援は、資産家でカトリックへの帰正者だったサミュエル・サザーランド・コッパーが引き受けた。この当時、セント・メアリー大学がジョン・デュボイスと聖スピルス会士たちによって設立された。サミュエルはこの大学の学生でもあった。 この年の7月31日エリザベスはエミスバーグに貧しい子供たちを世話することを目的とした共同体を設立した。アメリカで最初に設立された修道女の共同体で、この共同体による学校はアメリカで最初に建てられた無料のカトリック学校だった。この学校は控えめに開講されたが、アメリカでのカトリック教区による学校組織の先駆として注目された。 この共同体は、当初、聖ヨセフ愛徳修道女会と呼ばれた。ここからエリザベスは「マザー・シートン」とよばれるようになった。この修道女たちはフランスの愛徳姉妹会の聖ビンセンシオ・ア・パウロによる会則に従った。
※この「女性の学校創立者として」の解説は、「エリザベス・アン・シートン」の解説の一部です。
「女性の学校創立者として」を含む「エリザベス・アン・シートン」の記事については、「エリザベス・アン・シートン」の概要を参照ください。
- 女性の学校創立者としてのページへのリンク