太平洋艦隊支援部隊
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「メデューサ (工作艦)」の記事における「太平洋艦隊支援部隊」の解説
1942年3月1日、基地部隊は太平洋艦隊支援部隊(英語版)に改編された。メデューサも支援部隊の一員として真珠湾で復旧作業に従事していた。 1942年4月4日、メデューサは戦闘海域へ進出することになった。メデューサは1943年4月20日に共同統治領ニューヘブリディーズのエファテ島ポート・ハヴァンナ(英語版)へ到着し、4月24日から駆逐艦母艦リゲル(英語版)(USS Rigel, AR-11)の負担を軽減すべく現地で活動を始めた。メデューサはエファテ島で11ヶ月間の活動を行ったが、7月24日から8月4日までの間には一時的にエスピリトゥサント島へ展開し、雷撃を受けた軽巡洋艦ホノルル(USS Honolulu, CL-48)の仮艦首取付け作業に従事している。 1944年3月27日、エファテ島を出たメデューサは各地で短期間の活動を続ける。最初はニューギニアへ向かい、ミルン湾とブナ泊地で第7艦隊所属艦艇への修理活動を行う。次いでメデューサはガダルカナル島へ移動し、5月15日の到着後は第3艦隊の艦艇を修理。6月1日、メデューサはオーストラリアのシドニーへ移動して、5月に自らがブナ浅瀬で座礁事故を起こした際に負った損傷を修理した。修理完了後は引き続きマヌス島とアドミラルティ諸島で活動した。 11月10日にマヌス島で給兵艦マウント・フッド(英語版)(USS Mount Hood, AE-11)が大爆発事故を起こし木っ端微塵となった後、メデューサは爆発に巻き込まれ大きな損害を出した内燃機関修理艦ミンダナオ(英語版)(USS Mindanao, ARG-3)に対して修理と医療品の提供を行った。 1945年1月半ば、マヌス島を出たメデューサはフィリピンのサンペドロ湾行きの船団に加わるためにホーランディアへ向かう。メデューサはマヌス島へ戻る7月6日まで、ルソン島やその他の日本軍占領下の島々、そして沖縄への侵攻に従事する艦艇を支援し続けた。
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