太平洋艦隊での勤務とは? わかりやすく解説

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太平洋艦隊での勤務

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/19 18:07 UTC 版)

パーミャチ・アゾーヴァ (装甲巡洋艦)」の記事における「太平洋艦隊での勤務」の解説

1891年6月4日には装甲巡洋艦ナヒーモフ提督」が極東去りロシア本国向かった艦隊長官は「ナヒーモフ提督」に乗って日本去り、そこで新し太平洋艦隊長官 P・P・トィルトフ(ロシア語版海軍中将交替した1891年の夏と秋を、「パーミャチ・アゾーヴァ」ウラジオストク過ごした稀にアムール湾において砲術練習行った11月7日には、ドック入りするため横浜入港した12月16日には、越冬するため「ヴラジーミル・モノマフ」とともに長崎入港した。冬のあいだ、「パーミャチ・アゾーヴァ」香港芝罘長崎の各港を巡航した。 翌1892年4月4日には長崎からロシア本国へ「ヴラジーミル・モノマフ」が出港し「パーミャチ・アゾーヴァ」次々と艦船減っていく太平洋艦隊の中で唯一の主力艦船となった。その麾下にはわずかに 4 隻の航洋砲艦があるだけで、さらに10月9日には 2 等巡洋艦「ジギート」がロシアへ向けてシドニーフォークランド諸島経由という珍しい経路去っていった。 1892年夏には、艦隊巡洋艦ドミートリー・ドンスコイ」と「ヴィーチャシ」で補強された。この年のあいだ、「パーミャチ・アゾーヴァ」極東巡航してロシア沿岸外国の諸港を訪問した同年5月5日付けで、艦長にはウラジオストク到着したばかりの G・P・チュフニーン 1 等佐官任官した同年夏、彼は「パーミャチ・アゾーヴァ」バルト海回航した。同年10月16日「パーミャチ・アゾーヴァ」最初地球半周の旅を終えクロンシュタット帰港した

※この「太平洋艦隊での勤務」の解説は、「パーミャチ・アゾーヴァ (装甲巡洋艦)」の解説の一部です。
「太平洋艦隊での勤務」を含む「パーミャチ・アゾーヴァ (装甲巡洋艦)」の記事については、「パーミャチ・アゾーヴァ (装甲巡洋艦)」の概要を参照ください。

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