太平洋艦隊での勤務
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「パーミャチ・アゾーヴァ (装甲巡洋艦)」の記事における「太平洋艦隊での勤務」の解説
1891年6月4日には装甲巡洋艦「ナヒーモフ提督」が極東を去り、ロシア本国に向かった。艦隊長官は「ナヒーモフ提督」に乗って日本に去り、そこで新しい太平洋艦隊長官 P・P・トィルトフ(ロシア語版)海軍中将に交替した。 1891年の夏と秋を、「パーミャチ・アゾーヴァ」はウラジオストクで過ごした。稀にアムール湾において砲術練習を行った。11月7日には、ドック入りするため横浜へ入港した。12月16日には、越冬するため「ヴラジーミル・モノマフ」とともに長崎へ入港した。冬のあいだ、「パーミャチ・アゾーヴァ」は香港、芝罘、長崎の各港を巡航した。 翌1892年4月4日には長崎からロシア本国へ「ヴラジーミル・モノマフ」が出港し、「パーミャチ・アゾーヴァ」は次々と艦船が減っていく太平洋艦隊の中で唯一の主力級艦船となった。その麾下にはわずかに 4 隻の航洋砲艦があるだけで、さらに10月9日には 2 等巡洋艦「ジギート」がロシアへ向けて、シドニーとフォークランド諸島経由という珍しい経路で去っていった。 1892年夏には、艦隊は巡洋艦「ドミートリー・ドンスコイ」と「ヴィーチャシ」で補強された。この年のあいだ、「パーミャチ・アゾーヴァ」は極東を巡航してロシアの沿岸と外国の諸港を訪問した。同年5月5日付けで、艦長にはウラジオストクに到着したばかりの G・P・チュフニーン 1 等佐官が任官した。同年夏、彼は「パーミャチ・アゾーヴァ」をバルト海へ回航した。同年10月16日、「パーミャチ・アゾーヴァ」は最初の地球半周の旅を終え、クロンシュタットに帰港した。
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