大韓民国臨時政府活動
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上海市で亡命して大韓民国臨時政府に参加した。臨時議政院議員(地方区慶尚道)となった。1923年国民代表会議に参加した時、改造派に加わった。臨時政府を解体を訴える創造派の主張に反対し、臨時政府の維持改革を訴える改造派の宣言書修正委員に選出されて活動した。1924年には上海青年同盟会を結成して中国で活動する独立運動勢力の統合計画を立てた。 時事研究会に加担、1928年時事研究会執行委院長として全民族唯一党組織促成会を開催し、引き続き12月に吉林で革新議会と民族唯一党在満策進会を組織するなど民族唯一党運動を展開した。しかし、満洲での唯一党運動は参加した独立運動団体の間の立場の違いにより決裂し、日本の満洲侵攻以後の1933年また中国本土に戻った。 1935年7月南京で朝鮮民族革命党が創党されると、中央執行委員に活動した。1940年朝鮮民族革命党の武将団体である朝鮮義勇隊に合流して本部編集委員で活動する。1942年朝鮮民族革命党が臨時政府に参加しながら、議定院議員として臨時政府の国際的承認を要請するなど活発な活動を広げた。 1942年 10月大韓民国臨時政府国務委員兼文化部長となった。
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