大陸の宮殿建築との相違
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 22:55 UTC 版)
一般には寛平6年(894)を最後に遣唐使による大陸文化の輸入が途絶え、いわゆる国風化・国風文化の発展、唐風様式からの脱却という流れの中で寝殿造を考えることが多い。太田静六や福山敏男は寝殿造は中国から導入された宮殿建築を基礎としながらも、これを国風化して日本国独特の邸宅建築として大成したとする。太田静六は中国の宮殿建築と寝殿造の違いとして以下の8点を挙げている。 土間式ではなく床が高く張られたこと、 屋蓋が瓦葺から和風の檜皮葺となったこと、 柱や極を始めとする総ての木部を丹土塗などにすることなく白木造にしたこと、 屋内へ入るのに履物を脱いで上る和風が取入れられたこと、 寝所が中国式の寝台ではなく畳上に直接寝る本来の和風を続けたこと、 以上と関連して日常生活には座式を守り、唐風の椅子式によらなかったこと、 家屋全体が中国式の密閉式から我が国特有の全面開放式によったこと、 中国や欧米でみられる閉鎖主義の個室本位から、これも我が国特有の融通自在で開放的な大部屋式によったこと この内(1)から(6)は(2)の檜皮葺を除いて現在でも和風住宅の特徴である。それに対して大陸式は奈良時代の寺院や禅宗寺院の仏殿を見ても明らかなように内部は床を張らない土間である(実際には土ではなく粘土・砂・砂利を混ぜて突き固めた基壇)。
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