大西洋横断海底ケーブルへの貢献
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 04:48 UTC 版)
「ジョン・ブルック」の記事における「大西洋横断海底ケーブルへの貢献」の解説
これらのサンプルは、モーリーがニューファンドランド島からアイルランド島まで200マイル毎に測深して、「海底電信台地(telegraphic plateau)」と名付けた海底から採取したものであった。モーリーはブルックの装置用いて、海底山脈図を作成していた。これら「海底電信台地」には顕微鏡サイズの生物が豊富である。これら生物の死骸のため、海底山脈の上部は安定した柔らかい層で覆われている。これは、そのあたりには碇や漁網が残っていないことを意味する。死骸が摩耗していないことから、その深度には強い流れがないことも意味する。このことが出版されたすぐ後に、著名な投資家であるサイルス・フィールド(Cyrus West Field )はモーリーに対し、大西洋横断海底ケーブルの実現可能性を書簡として出し、肯定的な返事を得た。後に面会して詳細な検討を行っている。フィールドはサミュエル・モールスにも、海底を1600マイル(2800km)の距離を隔て電気信号を送ることの実現可能性を尋ねている。その回答はまたしても肯定的であり、フィールドは直ちにモールスを訪問した。フィールドは彼ら2人との接触を続け、可能な情報を全て収集し、彼の壮大な海底ケーブル計画に参加することを持ちかけた。これは1858年に、ビクトリア女王とブキャナン大統領が海底ケーブルを通じて話すという形で実現した。 ブルックの深海測深およびコア採取装置がなかったら、深海の様子を知ることはできず、従って海底ケーブルの敷設は何世代も後のこととなったであろう。
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