大正7年(1918年)編入区域の町名
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「京都市左京区の町名」の記事における「大正7年(1918年)編入区域の町名」の解説
旧田中村、白川村 公称町名町数田中里ノ前町、田中大堰町、田中東樋ノ口町、田中樋ノ口町、田中西樋ノ口町、田中飛鳥井町、田中門前町、田中上柳町、田中下柳町、田中関田町、田中里ノ内町、田中上玄京町、田中玄京町、田中馬場町、田中野神町、田中西浦町、田中南西浦町、田中上古川町、田中古川町、田中東高原町、田中高原町、田中西高原町、田中春菜町、田中東春菜町、田中西春菜町、田中大久保町、田中上大久保町、田中西大久保町、田中南大久保町、田中北春菜町 30 高野清水町、高野東開町、高野西開町、高野竹屋町、高野上竹屋町、高野玉岡町、高野泉町、高野蓼原町 8 北白川仕伏町、北白川上池田町、北白川下池田町、北白川上終町、北白川別当町、北白川小倉町、北白川東小倉町、北白川久保田町、北白川東久保田町、北白川西町、北白川東蔦町、北白川蔦町、北白川西蔦町、北白川追分町、北白川東平井町、北白川平井町、北白川西平井町、北白川伊織町、北白川琵琶町、北白川重石町、北白川小亀谷町、北白川向ケ谷町、北白川向イ谷町、北白川丸山町、北白川清沢口町、北白川地蔵谷町、北白川南ケ原町、北白川中山町、北白川蓬ケ谷町、北白川岩坂町、北白川外山町、北白川山田町、北白川山ノ元町、北白川大堂町、北白川上別当町、北白川下別当町、北白川東伊織町、北白川西伊織町、北白川瀬ノ内町、北白川東瀬ノ内町、北白川西瀬ノ内町、北白川堂ノ前町、北白川瓜生山町 43 「田中」及び「高野」を冠する町名は、もとの愛宕郡田中村で、大正7年(1918年)、当時の上京区に編入された。田中村には田中、高野河原の2つの大字があったが、このうち大字田中は大正7年、「田中」を冠する17町に編成された。その後、以下のような町名町界の変更を経て、「田中」を冠する町は30町となっている。 (昭和14年成立)東・西高原町、春菜町、東・西春菜町、東樋ノ口町 (昭和18年成立)上古川町、上・西大久保町、西春菜町 (昭和35年成立)西樋ノ口町、南大久保町、南西浦町、上玄京町 (昭和35年廃止)西河原町 田中村大字高野河原は大正7年、「高野」を冠称する7町に編成された。その後、以下のような町名町界の変更を経て、「高野」を冠称する町は8町となっている。 (昭和18年成立)上竹屋町、東・西開町 (昭和18年廃止)上・下開町 「北白川」を冠する町名は、もとの愛宕郡白川村で、大正7年(1918年)、当時の上京区に編入された。白川村には大字はなく、旧村域は大正7年、一部が「北白川」を冠する12町(仕伏町、上池田町、下池田町、上終町、別当町、小倉町、久保田町、西町、追分町、平井町、伊織町、琵琶町)に編成され、残余は大字北白川となった。 昭和40年(1965年)、当時の京都市内各所に残存していた「大字○○字XX」の区域はすべて「町」となり、「○○XX町」と改称された。元の大字北白川の区域は「北白川」を冠する13町となった。この他、以下のような町名町界の変更を経て、「北白川」を冠する町は43町となっている。 (昭和14年成立)東・西平井町、蔦町、東・西蔦町 (昭和23年成立)東・西伊織町、瀬ノ内町、東・西瀬ノ内町、堂ノ前町、山田町、山ノ元町、上別当町、大堂町 (昭和34年成立)東小倉町、下別当町、東久保田町 (昭和40年成立、旧大字北白川)重石町、小亀谷町、向ケ谷町、向イ谷町、丸山町、清沢口町、地蔵谷町、南ケ原町、中山町、蓬ケ谷町、岩坂町、外山町、瓜生山町 旧下鴨村、上賀茂村 公称町名町数下鴨宮河町、下鴨宮崎町、下鴨松原町、下鴨森本町、下鴨西林町、下鴨泉川町、下鴨松ノ木町、下鴨貴船町、下鴨下川原町、下鴨中川原町、下鴨上川原町、下鴨西半木町、下鴨東半木町、下鴨北園町、下鴨海ノ木町、下鴨西梅ノ木町、下鴨東梅ノ木町、下鴨塚本町、下鴨東塚本町、下鴨岸本町、下鴨東岸本町、下鴨西本町、下鴨本町、下鴨東本町、下鴨森ケ前町、下鴨東森ケ前町、下鴨西高木町、下鴨高木町、下鴨東高木町、下鴨芝本町、下鴨膳部町、下鴨蓼倉町、下鴨半木町、下鴨南芝町、下鴨北芝町、下鴨水口町、下鴨南茶ノ木町、下鴨北茶ノ木町、下鴨北野々神町、下鴨南野々神町、下鴨前萩町、下鴨萩ケ垣内町、下鴨狗子田町、下鴨神殿町、下鴨夜光町、下鴨梁田町 46 賀茂今井町、賀茂半木町 2 「下鴨」を冠する町名は、もとの愛宕郡下鴨村で、大正7年(1918年)、当時の上京区に編入された。下鴨村には大字はなく、旧村域は大正7年、「下鴨」を冠する17町に編成された。その後、以下のような町名町界の変更を経て、「下鴨」を冠する町は46町となっている。 (昭和13年成立)塚本町、東塚本町、岸本町、東岸本町、梅ノ木町、東・西梅ノ木町、本町、東・西本町、東森ケ前町、東・西高木町 (昭和14年成立)東・西半木町、貴船町 (昭和24年上京区上賀茂より編入)北・南茶ノ木町(*)、水口町(*)、北・南芝町(*)、北・南野々神町、梁田町、夜光町、神殿町、狗子田町、前萩町、萩ケ垣内町(以上、*印は昭和15年成立、他は昭和6年成立) 「賀茂」を冠する2町はもとの愛宕郡上賀茂村である。上賀茂村には上賀茂、小山の2つの大字があった。このうち大字小山は大正7年(1918年)、当時の上京区に編入され、現在は北区のうちとなっている。大字上賀茂は一部が大正7年、当時の上京区に編入され、「賀茂」を冠称する4町(今井町、半木町、板倉町、玄以町)に編成された。このうち、板倉町は昭和11年、玄以町は昭和12年に廃止されたが、「板倉」、「玄以」の地名は、現在の北区小山の町名に継承されている。以上により、「賀茂」を冠する町名は2町となっている。なお、大字上賀茂の残余は、昭和6年、当時の上京区に編入されて「上賀茂」を冠する町名となり、現在は北区に属している。
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