大樽棟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 16:40 UTC 版)
大樽棟(Fassbau)は、この建物内にある巨大な樽にちなんで名付けられた。 大樽棟は、大樽のために特別に1589年から1592年にかけてヨハン・カジミールによって建設された。この建物は王の広間と隣接しており、祝宴の際ワイン貯蔵庫と宴会場が可能な限り近くになるよう設計された。 建設当時にはすでにルネサンス様式の時代に入っていたにもかかわらず、この建物は後期ゴシック様式で建てられている。 現在の大樽は4代目の樽である。代々の大樽にはそれが造られた時の選帝侯にちなんだ名が付けられている。 ヨハン・カジミール樽 1591年 カール・ルートヴィヒ樽 1664年 カール・フィリップ樽 1728年 カール・テオドール樽 1751年 初代大樽のヨハン・カジミール樽の容量は約127,000リットルであったが、代を追うごとに大きくなっていった。現在のカール・テオドール樽は建造時 221,726リットルであったが、木材の乾燥により 219,000リットルほどの容積となっている。 選帝侯カール3世フィリップが樽の監視を命じたワイン好きの享楽家のシンボル、ペルケオの人形が大樽を見張っている。ペルケオは、カール・フィリップが選帝侯に就任する前、皇帝のチロル代官として赴任していたインスブルックから宮廷道化師として連れてきた人物であった。伝説によれば、選帝侯が大樽の酒を飲み干すことができるかどうか尋ねた時、「Perché no?」(イタリア語で「なぜ、できないの?」)と答えたことからペルケオ(Perkeo)と呼ばれるようになったとされる。 ペルケオはワインを唯一の飲み物として子供の頃からこれを飲み続けており、1日15本のワインを飲んでいた。彼が年老いて初めて病気になった時、医師はワインをやめて水を飲むように指導した。疑いながらもペルケオはこの助言に従ったのだが、その翌日に亡くなった。 ハイデルベルクの大樽はハインリヒ・ハイネの『歌の本』、ジュール・ヴェルヌの『気球に乗って五週間』、ワシントン・アーヴィングの『The Specter Bridegroom』、マリー・ハーゼルトンの『ベルタ』、マーク・トウェインの『ヨーロッパ放浪記』、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』などで言及されている。
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