大学定年退官後
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2000年3月に筑波大学を定年退官した。10月10日に新聞社から最初の問い合わせがあり、その後10月18日にノーベル財団から正式な連絡を受けてヒーガー、マクダイアミッドと共にノーベル化学賞を受賞した。なお、日本では旧帝国大学以外の出身者として初のノーベル賞受賞者となった。12月8日にストックホルム大学で受賞記念講演を行っている。また、これに合わせて文化勲章を受章した。 同年11月29日には、翌年創設される総合科学技術会議の有識者議員に内定した。研究領域の重複などについて省庁間の調整がほとんど存在しない実態を知り、衝撃を受けたという。在任中は科学技術関係事業の予算に優先順位をつけ、担当者からの不満にも厳正に対処した。なお、科学予算の制度としては少額ながら自由な裁量で使える校費を、セレンディピティ的な発見があった時に有効だとして評価している。なお、2001年には事前の連絡がないまま新潟大学の学長に推薦され、自身は固辞したが推薦を取り消す規定がなく、決選投票に進み5名中3位となっている。
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