大学の分割
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/26 22:29 UTC 版)
「ブリュッセル自由大学」の記事における「大学の分割」の解説
19世紀には、ブリュッセル自由大学の授業は当時のベルギーの上流階級の言語であるフランス語だけで行われていた。しかし、オランダ語圏の人々の権利の主張により、1935年には法学部の一部の授業でオランダ語が使われるようになった。しかし、全ての学部・分野が二言語対応をしたのは1963年だった。 1968年、ルーヴェン・カトリック大学が言語分裂を起こすと、翌1969年10月1日にはブリュッセル自由大学も2つの大学、フランス語のUniversité libre de Bruxelles(ULB)とオランダ語のVrije Universiteit Brussel(VUB)に分割された。1970年5月28日にベルギー国会が可決した法律によって、2つの大学は正式に別の法人となった。大学名はどちらも「ブリュッセル自由大学」を意味する。大学は分裂したものの、大学間の学術連携・協力は現在も密接に行われ、学生・教員・研究者の交流も盛んに行われている。 分割後はULBの方が有利になったと主張する人もいる。ほとんどの国際的なランキングで、ULBはVUBよりも高いランク付けがされている(2014-5年のTHE世界大学ランキングで201-225位)。ソルボッシュ(フランス語版)の歴史的建造物のほとんどはULBに移管された。一方、VUBは、ULB科学キャンパスの隣の新しい小さな敷地でのスタートとなり、1970年代に建設されたコンクリート製の建物が大部分を占めている。ほとんどの学術スタッフが英語で執筆し教授できることで、そのランキングはULBより低かったが(2014-5年の世界大学ランキングで351-400位)、最近では逆転している(2019-20年のTHE世界大学ランキングで両大学とも201-225位、QS世界ランキングではULBの251位に対しVUBは195位)。学部課程および大学院課程での指導はオランダ語と英語で行われている。
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