野口王墓とは? わかりやすく解説

野口王墓

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/23 09:33 UTC 版)

野口王墓(のぐちのおうのはか)は、奈良県高市郡明日香村にある古墳。形状は八角墳古墳時代終末期の古墳である。


註釈

  1. ^ “古墳は八角形”50年以上前に確認:NHKニュース(2012年5月18日)
  2. ^ 1992年(平成4年)に行われた見瀬丸山古墳の石室調査の報告書(『書陵部紀要』第45号、pp82-109)には、「四年(1871年(明治4年))の十一月には、檜隈大内陵(天武持統合葬陵)が、高市郡野口村字王之墓(野口王墓)から、同郡五條野村字丸山、つまり当地(見瀬丸山)に改定され」とある。このことから、文久の修陵から1871年(明治4年)の間のいずれかの時期に、再度、見瀬丸山から野口王墓に治定変更され、その後、1871年(明治4年)にさらに治定変更が行われ、野口王墓は、天武持統陵ではなくなっていたことがわかる。
  3. ^ 『天皇陵の近代史』pp132より。なお、野口王墓を中心にすえるため一部改変を加えている。
  1. ^ 「件陵形八角、石壇一匝、一町許歟、五重也、此五重の峯、有森十余株、南面有石門、々前有石橋」この墓は八角形で五重になり周囲は壱町(約108メートル)と書いてある。(河上(2005) 62ページ


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