外遊:ベートーヴェンとの出逢い
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「ジョージ・ブリッジタワー」の記事における「外遊:ベートーヴェンとの出逢い」の解説
1802年に賜暇を認められて、母親と兄弟をドレスデンに訪ね、同地で演奏会を開く。その後1803年にウィーンに行き、ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェンと共演した。感銘を受けたベートーヴェンは、自身の偉大な《ヴァイオリン・ソナタ第9番》作品47をブリッジタワーに献呈したが、「気分屋の混血のためのソナタ(イタリア語: Sonata per uno mulaticco lunatico)」という、親しみからとはいえ茶化すような献辞がついていた。ようやく完成に漕ぎ着けると、1803年5月24日にアウガルテン劇場において、作曲者自身のピアノとブリッジタワーのヴァイオリンによって公開初演が行われた。ブリッジタワーは、ベートーヴェンの写譜した第2楽章のパート譜に目を通して、肩をすくめた。そしてパート譜にやや手を入れたが、ベートーヴェンは気前良くそれを受け入れ、「もう一度だ、相棒!(Noch einmal, mein lieber Bursch!)」と飛び上がって言った。ベートーヴェンはブリッジタワーに音叉を贈っており、これは現在、大英図書館に保管されている。間もなく二人の関係は終わった。ブリッジタワーがある女性を侮辱したところ、その女性はベートーヴェンの友人だったのである。ベートーヴェンはブリッジタワーとの縁を完全に切って、かの新作ソナタを、別のヴァイオリンのヴィルトゥオーゾ、ルドルフ・クロイツェルに改めて献呈することにしたが、クロイツェルは「もう誰かが弾いているし、それに難しすぎる」と言って、この作品を決して演奏しなかった。かくてベートーヴェンの《ヴァイオリン・ソナタ第9番》は、「クロイツェル・ソナタ」の愛称で親しまれるようになった。ベートーヴェンとブリッジタワーの関係は、ピュリッツァー賞を受賞した女性詩人リタ・ドーヴによって戯曲化され、『黒人のソナタ(Sonata Mulattica)』として出版された (W. W. Norton, 2009) 。
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