外務省による情報収集活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/01 02:45 UTC 版)
「篠崎スパイ事件」の記事における「外務省による情報収集活動」の解説
日英関係が緊迫化する中で、日本軍はシンガポールの防衛に関する情報を欲していたが、(1936年12月の)ワシントン条約(失効)以降、シンガポールには駐在武官が置くことができなくなっていたため、外務省情報部を通じて現地の軍事情報を収集しようとした。 1938年10月、シンガポールで日本の通信社・東方通信社(Eastern News Agency)が活動を開始した。篠崎護は、同社の3人の従業員のうちの1人で、1938年10月から総領事館での勤務を開始し、英字紙『シンガポールヘラルド』に日本からの「フレッシュ」な「歪曲されない」ニュースを提供することを職務としていた。 1939年に第2次世界大戦が始まると、英国は日本の攻撃に備えてシンガポールの防備を増強し、篠崎は本省からの指示を受けて軍事情報の収集にあたることになった。1940年9月当時、篠崎は、日本領事館の建物の1室に事務室を持ち、軍人の身分を隠し「外務省嘱託」として着任したばかりの予備海軍少佐・永山しゅんぞうと机を並べていた。
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