地下組織の指導者ヤセフ・サーディ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 14:29 UTC 版)
「ジェルメーヌ・ティヨン」の記事における「地下組織の指導者ヤセフ・サーディ」の解説
1957年7月4日、民族解放戦線 (FLN) の中心人物で、アルジェの戦い(フランス語版)(1957年1月7日 - 10月9日)においてアルジェ自治区の地下組織の指導者であったヤセフ・サーディからの申し出に応じて「アルジェのカスバ」で彼に会い、地下組織によるテロリズムとフランス軍による拷問・処刑の悪循環に終止符を打つための交渉を開始し、以後、同年9月28日にサーディが逮捕されるまで何度も手紙のやり取りをした。逮捕後もティヨンがこの手紙に基づく証言をしたことで、サーディは処刑されることなくフランス司法当局に引き渡され、アルジェリアの独立時にシャルル・ド・ゴールの特赦を受けることになった。ティヨンはド・ゴールをはじめとする有力者に対して繰り返し死刑囚の釈放、拷問やテロリズムの禁止を呼びかけている。なお、サーディが獄中で執筆した『アルジェの戦いの回想録』はジッロ・ポンテコルヴォ監督により『アルジェの戦い』として映画化され、サーディも出演している。また、サーディ宛の手紙は「ヤセフを助けるための二通の書簡」としてティヨンの自著『ジェルメーヌ・ティヨン ― レジスタンス・強制収容所・アルジェリア戦争を生きて』に掲載されている。
※この「地下組織の指導者ヤセフ・サーディ」の解説は、「ジェルメーヌ・ティヨン」の解説の一部です。
「地下組織の指導者ヤセフ・サーディ」を含む「ジェルメーヌ・ティヨン」の記事については、「ジェルメーヌ・ティヨン」の概要を参照ください。
- 地下組織の指導者ヤセフ・サーディのページへのリンク