在籍したドライバー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/05 00:16 UTC 版)
「ノバ・エンジニアリング」の記事における「在籍したドライバー」の解説
風戸裕 (1973年〜1974年) - 富士GCに参戦。 藤田直広 - 風戸裕の事故死後に富士GCに参戦。 生沢徹 星野一義 中嶋悟 - 1976年まではプライベーターとして活動していたが、資金難のため活動を停止しようとしていた所をBMWのエンジンをチューニングしていた松浦賢により見いだされ、翌1977年より同社のシャシーを使ってヒーローズレーシングより全日本F2000・FJ1300に参戦するようになった。 長谷見昌弘 片山義美 (1983年〜1984年) - 富士GCに参戦。エントラントは、片山レーシングでマシン製作とメンテネンスを担当。シャーシにマーチ812/エンジンにマツダ13B(ロータリーエンジン)を使用して、ノバエンジニアリングにて設計・製造されたオリジナルカウルを使用。シャーシのマーチ812は、ノバ製カウルに合わせての改造と補強をノバで実施。マシン名は、1983年がKN83/84年がKN84。KNは、カタヤマ・ノバの頭文字から使用。 高橋徹 (1983年) 高橋国光 (1983年〜1991年) ステファン・ヨハンソン (1984年) ロベルト・モレノ (1985年) ケネス・アチソン (1987年) 中谷明彦 (1989年〜1992年) フォルカー・ヴァイドラー (1990年〜1992年) ハインツ=ハラルド・フレンツェン (1992年〜1993年) マウロ・マルティニ (1992年〜1995年) - 1992年全日本F3000選手権チャンピオン ペドロ・デ・ラ・ロサ (1996年〜1997年) - 1997年フォーミュラ・ニッポンチャンピオン ラルフ・ファーマン (1998年〜2000年) 加藤寛規 (1999年、2003年) 山本清大 (2002年)
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