在地伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 09:04 UTC 版)
大和高田市奥田の伝説「奥田蓮池の一つ眼蛙」によると、役行者の母・刀良女(とらめ)は、奥田の蓮池で病を養っていたが、ある夏、捨篠神社へ参ると、蛙の鳴き声が聞こえ、光輝く池の蓮の茎が伸び、2つの白蓮が咲き、そこには金色の蛙が歌っていた。そこで刀良女は何気なく萱を一本抜きとって蛙に向かって投げたところ、蛙の片目に当たってしまい、射貫かれた蛙はそのまま水中深く潜ってしまった。その瞬間、池面をいろどった五色の露も一茎二華の白蓮も消え、蛙は醜い褐色色になって浮かんで来た。刀良女は自責の念から病が重くなり、42歳で亡くなる。母を亡くした役行者は発心して修験道を開き、吉野山に入ると、吉野山蔵王権現を崇め、蛙の追善供養を行い、母の菩提を弔った。毎年、7月7日には、山伏が吉野に来て、ここの行者堂と刀良女塚に香や花を献じ、蓮池の蓮180本を切り取って、蔵王堂から大峯山までの街道に祀られる祠堂に蓮を献じて、蛙の供養をした。 この伝説では役行者の母の没した年齢、および修験道を開いたきっかけが、母を亡くしたこととして語られている。
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