在原氏系 長谷川氏
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法貴寺荘(大和国城下郡田原本町法貴寺)を根拠地としたとみられ、大和国人である十市氏を盟主とする武士団・長谷川党(法貴寺党)を形成していた。15世紀には衰退した。 世阿弥の女婿である能楽の金春流・金春禅竹が『明宿集』の中で「秦河勝ノ御子三人、一人ニワ武ヲ伝エ、一人ニワ伶人ヲ伝エ、一人ニワ猿楽ヲ伝フ。武芸ヲ伝エ給フ子孫、今ノ大和ノ長谷川党コレナリ。」と記している。 また、長谷川党は薩摩国の島津氏の系譜と密接な関係がある。
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