国防省の改革・核戦略の転換など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 06:40 UTC 版)
「ロバート・マクナマラ」の記事における「国防省の改革・核戦略の転換など」の解説
彼は、アイゼンハワー政権の核戦略を転換させた。前政権は大量核報復戦略を当然とするアーサー・ラドフォード海軍大将やカーチス・ルメイ空軍大将などが動かしていた。それに密かに反対していたマクスウェル・D・テイラー陸軍大将を統合参謀本部議長にして、より穏健な立場に立ち、軍部を掌握した聡明な文官としての地位を確立した。民主党勝利の大きな理由であった「ミサイル・ギャップ(ミサイルでアメリカはソ連に負けているという説)」は存在しないと国防長官就任直後に発言し物議を醸したように、彼は単純な核兵器拡張論者では無い。当時前線司令官に一部任されていた核使用権限を大統領に集中し、文官側によるより柔軟で広範な判断をできる仕組みを作り上げた。 国防省に国防情報局を設置して3軍の情報を集中し、国防長官に情報が集まるようにした。また、国際安全保障局で文官側の判断が独自に出来るようにし、システム分析局で情勢や装備の文官側の判断が出来るようにした。またヨーロッパ諸国の国防省に文官組織を作り、軍部が独走しないようにした。
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