国民新党結党の遠因
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『自民党幹事長』(浅川博忠著、講談社文庫)によると綿貫民輔初代代表曰く「新党までとは思わなかったが勉強会事務局長として私を助けてくれた島根の亀井久興が無所属では復活当選できない。彼を救済するための国民新党なのだよ」とのことである。現に2005年の第44回衆議院議員総選挙で、綿貫民輔・亀井静香は小選挙区で当選した(綿貫民輔は富山県第3区、亀井静香は広島県第6区)が、亀井久興は島根県第2区で自由民主党公認の竹下亘に破れ、重複立候補していた比例代表中国ブロックでの復活当選を果たす。しかし2009年の第45回衆議院議員総選挙では協力関係にあった民主党の議席は大幅に増加し、亀井久興は前回よりも得票数を大幅に伸ばしたものの(島根県第2区では民主党・社民党公認候補は立候補していないため、亀井久興は事実上当時の野党統一候補)、またも竹下亘に破れ、重複立候補していた比例代表での復活当選もならなかった(代表の綿貫民輔は比例代表区のみで立候補し落選・政界引退)。島根県では2002年の小選挙区区割見直しで、3つあった選挙区を2つに減らし、旧島根県第2区選出の竹下亘と旧島根県第3区選出の亀井久興の選挙協力が不可欠となっていた(亀井久興は1996年と2000年に行われた旧島根県第3区での衆議院総選挙で自民党公認候補として他の候補を寄せ付けないほどの得票を得て圧勝)。2003年の第43回衆議院議員総選挙では竹下亘が島根県第2区から、亀井久興は自由民主党中国ブロック比例単独候補として立候補し、2人とも当選していた。綿貫民輔が浅川博忠に語ったことが事実であれば、2002年の小選挙区区割見直しが国民新党結党の遠因と考えられる。
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