国家再建暫定民主政府指導者会議議員
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「ダニエル・オルテガ」の記事における「国家再建暫定民主政府指導者会議議員」の解説
1979年7月18日のニカラグア革命によって、親米のアナスタシオ・ソモサ・デバイレ政権が打倒され、40年以上続いたソモサ独裁政権が崩壊した後、国家再建暫定民主政府指導者会議に入る。当初革命政府は非同盟、混合経済、複数政党制を三本の柱とした体制だった。政権に協力的なブルジョワ層の支持を得て、広大な農地を所有していたソモサ家の土地を接収し、農地改革を行った。また、教育にも関心を払い、ブラジルのパウロ・フレイレの教育理論を取り入れた識字教育により、ニカラグアの識字率は劇的に改善した。 しかし、1980年にFSLN政権を敵視したロナルド・レーガンがアメリカ合衆国大統領に就任すると、ニカラグアを「西半球のガン」と呼んで憚らなかったレーガンは旧ソモサ軍(国家警備隊)の兵士や傭兵を資金援助してCIAにコントラを結成させ、コントラ戦争を強い、さらには経済制裁と併せて機雷による港湾封鎖や爆撃を繰り返した。
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