国内戦績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/24 05:14 UTC 版)
「レイ・ウィルソン (ライダー)」の記事における「国内戦績」の解説
サイクルスピードウェイの選手として、レスター・モナークス (Leicester Monarchs) に参加した後、父に倣ってモーターサイクル・スピードウェイの道に進んだ。リーグの予選会への参加を経て、1962年にレスター・スタジアム (Leicester Stadium) での初走行し、さらに、ライ・ハウス (Rye House) での練習走行を重ね、1963年にはロング・イーストン (Long Eaton) で後半のみの走行も行なった後、1963年にロング・イーストン・アーチャーズ (Long Eaton Archers) の一員となり、ストーク・ポッターズ (Stoke Potters) の緊急交替要員となり公式戦デビューを果たした。翌1964年もアーチャーズに所属したが、脚を骨折してシーズン途中で脱落した。1965年も、新たに設立されたスピードウェイ・イギリス連盟 (Speedway British League) に参加したアーチャーズに所属し、1966年には、連盟の公式戦すべてにアーチャーズの一員として参戦し、シーズン平均8.6ポイントを挙げた。同年の(北半球の)冬には、オーストラリアへ渡ってレースに参戦し、1967年にはさらに成績を上げ、平均10.36ポイントを挙げた。これによってウィルソンはイギリス選手権の決勝戦に進み、10ポイントを獲得して世界選手権決勝にも進み、8位に入った。 ロング・イーストン・アーチャーズが拠点をレスターに移し、レスター・ライオンズ (Leicester Lions) と改組された際にも、ウィルソンはチームに留まった。ウィルソンはライオンズで9シーズンを過ごし、ボーナス得点も含め、通算4千ポイント以上を獲得した。その後ウィルソンは、バーミンガム・ブラミーズ (Birmingham Brummies) に移籍して3シーズン所属してから、引退した。 スピードウェイ以外の活動では、ウィルソンは物流会社を経営している。 現在、ウィルソンは、地元レスターのチームで、広報大使役を務めている。
※この「国内戦績」の解説は、「レイ・ウィルソン (ライダー)」の解説の一部です。
「国内戦績」を含む「レイ・ウィルソン (ライダー)」の記事については、「レイ・ウィルソン (ライダー)」の概要を参照ください。
- 国内戦績のページへのリンク