国内情勢不安
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 05:13 UTC 版)
「ペドロ3世 (アラゴン王)」の記事における「国内情勢不安」の解説
フランスがアラゴン侵略を準備していた時、アラゴン連合王国の国内情勢は不安定だった。ペドロ3世は反抗的な貴族のフアン・ヌニェス・ダ・ララからアルバラシンを奪い、カスティーリャ王サンチョ4世と同盟を結び直した。フランス軍の正面からのアラゴン連合王国侵入を妨げようと、フランス王フィリップ3世(大胆王)の息子のナバラ王フェリペ1世(端麗王)が統治するナバラ王国のトゥデラを攻撃した。1283年にはタラゴナとサラゴサで議会を開催したが、反王党派のアラゴン連合(英語版)に「一般特権」を与えることを余儀なくされた。 1283年には弟のマヨルカ王ジャウメ2世がフランス王国に寝返り、モンペリエの宗主権が認められた。ジャウメ2世はフランス軍に対してルシヨン地方を通じてのカタルーニャへの自由な通行権を認め、さらにはバレアレス諸島への通行も認めた。10月、ペドロ3世はフランス軍の侵略に備えたカタルーニャ防御の準備を開始した。1284年、教皇マルティヌス4世はアラゴン連合王国をヴァロワ伯シャルル(フランス王子でカルロ1世の大甥)に与え、教皇はシャルルの代わりにアラゴンを征服するための戦争を認可した。
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