国との悶着と閉局、エフエム東京開局へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 18:36 UTC 版)
「FM東海」の記事における「国との悶着と閉局、エフエム東京開局へ」の解説
東海大学とほぼ同時期に運用を開始して正式な教育放送局実現が期待されていた東洋大学の超短波放送実験局が、資金不足で実用化試験局への発展にいたらず断念に追い込まれたこともあり、実用化試験局への移行にあたっては、スポンサーの獲得が文部省および郵政省から認可されていた。しかし、広告放送が認められていない実験局との区別があいまいなことが、国会でも問題になった。また、文部省と郵政省が放送を使用した高等教育を、政府として行う方向へ方針を転換したこともあって、郵政省は「FM放送の実施のために必要な資料収集が完了した」という理由を東海大学に提示、1968年に実用化試験局の再免許を拒否した。短期間再免許されたもののすぐに期間満了となり、不法無線局として、郵政省は電波法違反で東海大学を告発した。これに対し東海大学は「これまでの実績を評価していない」として誣告(ぶこく)罪で郵政省を提訴するなどの騒動があったが、ほかの出資元も増やした株式会社形式の民間放送に移行することで妥協し、1970年4月25日に廃局。翌4月26日、東日本初の民間FM放送、エフエム東京(JOAU-FM、80.0Mc)に移行した。 詳細は「エフエム東京#沿革」および「前田久吉#東京タワーと日本電波塔」を参照 「東京タワー#運営会社」も参照
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