因幡国の三上氏とは? わかりやすく解説

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因幡国の三上氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 23:34 UTC 版)

三上氏」の記事における「因幡国の三上氏」の解説

因幡三上氏因幡国巨濃郡岩井庄を所領としていたといわれる一説によれば三上氏但馬山名氏から派遣され代官であり、但馬国との国境地域経営任されていたといわれる因幡三上氏存在は、文献[要文特定詳細情報]には康正2年1456年)より確認される入部時期については一切不明だ一族として初め文献[要文特定詳細情報]に見え三上周通が「近江入道」と名乗っているので室町時代中期ごろかと思われるその後因幡三上氏空白有り文明年間まで下るが兵庫頭政実、兵庫頭経実と続いた天文10年1541年)の道竹城合戦で経実が討死すると、伯耆山名氏出身山名不二郎(輝房)がその跡を継承したまた、山名豊国家臣団にも三上一族の名が確認される因幡三上氏存在江戸時代にはほとんど忘れられており、『因幡民談記』を記した小泉友賢因幡三上氏関連情報量少なさ故、系統の全く異な山名一族山名東揚を「三上兵庫頭」と置き換えてしまった。その上、『鳥取県史』などの郷土史本では『民談記』の記述史料批判もなしにそのまま取り上げられたため、誤った認識が広まることになった。ようやく近年になってこの三上氏に関する史料[要文特定詳細情報]が確認されたことにより、小泉友賢の説が誤りであることが明らかになった。ただ、確実な史料確認された現在においても「民談記信仰」の名残りから『民談記』の説を支持する者がわずかながら存在することも事実である。

※この「因幡国の三上氏」の解説は、「三上氏」の解説の一部です。
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