営業譲渡処理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 23:48 UTC 版)
1998年(平成10年)6月28日、拓銀解散を決議する、事業会社としては最後の定時株主総会が真駒内アイスアリーナで開かれた。出席株主は過去最多の1,000人を超え、真駒内駅から30台以上の貸切バスがピストン運行された。鷲田秀光頭取代行は50分にわたって用意された原稿を読み上げ、株主からの批判の質疑にも想定問答を答えるだけだった。午後0時40分過ぎ、採決の動議が出される。反対の声を叫ぶ株主もいたが、拓銀はこの総会に備えて1か月余り、電話や戸別訪問・土下座による説得で株主からの委任状取り付けを行っており、結果は既に分かりきっていた。 整理ポストに割り当てられていた拓銀株 (8312) は、1998年(平成10年)8月27日に上場廃止となった。株主総会での議決に基づき、同年11月13日をもって拓銀としての営業は終了し、1999年(平成11年)3月31日付で法人は解散し、清算法人となった。2006年(平成18年)1月31日の臨時株主総会をもって清算を終えたことから、2月6日付で登記簿の閉鎖(法人格抹消)がされ、これをもって法人「株式会社北海道拓殖銀行」は、名実ともに106年の歴史に幕を下ろした。
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