問題の背景<1>総督府の糖業奨励とは? わかりやすく解説

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問題の背景<1>総督府の糖業奨励

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/14 15:49 UTC 版)

米糖相克」の記事における「問題の背景<1>総督府の糖業奨励」の解説

1895年明治28年日本による台湾統治が始まると台湾総督府が糖業を増進すべく甘蔗耕作奨励したとりわけ4代総督児玉源太郎1898年着任)及び民政長官後藤新平による児玉・後藤政治においては台湾植民政策中心産業振興に置き、そのまた中心を糖業奨励置いた。そのため、甘蔗耕作地次第北へ発展するようになった従来すみ分けられていた米作甘蔗作との間で空間的な競合可能性生じてくるようになった加えて1901年明治44年新渡戸稲造建議した糖業改良意見書に基づき台湾糖業奨励規則により各種糖業奨励政策展開する同時に製糖取締規則に基づき日本から進出した台湾製糖大日本製糖明治製糖帝国製糖塩水港製糖などの巨大製糖企業のために原料採取区域設定して原料供給保証した。ただし、こうして設定され原料採取区域も、農民甘蔗栽培義務付けるというものでなく、何を栽培するかは農民自由にまかされていた。ただ甘蔗栽培した場合にのみ必ず所定製糖場にそれを売却することを義務付けていたに過ぎない原料確保のためには不徹底なものであり、甘蔗代わる有力な競争作物(たとえば米等)が出現した場合には、製糖業原料確保に困難をきたすことは容易に想定できたものであった。にもかかわらずこのような形でしか耕作農民規制しえないことは、日本台湾統治限界を示すものであった

※この「問題の背景<1>総督府の糖業奨励」の解説は、「米糖相克」の解説の一部です。
「問題の背景<1>総督府の糖業奨励」を含む「米糖相克」の記事については、「米糖相克」の概要を参照ください。

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