問題の背景<2>台湾米の経済作物化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/14 15:49 UTC 版)
「米糖相克」の記事における「問題の背景<2>台湾米の経済作物化」の解説
他方、1920年代になると日本国内で人口が増加し、食料供給が緊迫化した。そこへ台中試験場において磯永吉等が蓬莱米の栽培に成功した。これにより、台湾米が対日輸出向け品質の面からも日本種に劣らないものになったので、これまで自給用にすぎなかった米が、日本に移出することができるものになった。この蓬莱米は順調に日本市場に浸透したので、台湾では米が甘蔗と並ぶ経済作物となった。蓬莱米は収量及び価格面でも既存台湾品種に比べて格段に優れており、ひとたび米が経済作物となると、台湾の気候からすれば、米と甘蔗の転換は容易であった。
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