問題の解決と開業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/21 04:25 UTC 版)
「奥田駅 (富山県)」の記事における「問題の解決と開業」の解説
しかし、1937年(昭和12年)7月に入って富岩運河上流西岸に日本曹達人絹パルプの工場建設が開始すると、富山県と富山市は富岩鉄道線との交叉を要せざる経路に引込線計画を変更し、名古屋鉄道局に対してその許可申請を行った。富岩鉄道においても1937年(昭和12年)12月12日に富山電気鉄道社長であった佐伯宗義が同社社長に就任し、富山電気鉄道の傘下に入ると状況が一変し、佐伯は富山県及び富山市との共同出資で引込線を建設し、免許は富山市名義とするが、運営は富岩鉄道が行うという方針を示したので、一連の引込線建設問題は円満に解決することとなった。 かくて1938年(昭和13年)5月26日に富山 - 日曹工場前間の鉄道敷設免許が富山市に下付され、直ちにその建設に着手、同年8月24日より営業を開始した。これにより富岩鉄道は東岩瀬港及び富岩運河の貨物輸送を一手に引き受けることとなった。草卓人は東岩瀬港、富岩鉄道及び富岩運河の連絡ルートの完成は、「同地域の工業化過程における輸送面での、産業基盤形成の第一段階完了であった」と評価している。
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