和漢薬問屋から洋薬専門メーカーへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 03:31 UTC 版)
「塩野義製薬」の記事における「和漢薬問屋から洋薬専門メーカーへ」の解説
創業当初は和漢薬専門であったが、明治維新後の西洋医学普及に伴い、洋薬の需要が高まると共に、1886年、和漢薬専門から洋薬のみを取り扱う方針に切り替える。そして1909年には、自家新薬第一号として「アンタチヂン」(健胃制酸薬)を製造販売する。翌1911年には、1909年にドイツで開発された「サルバルサン」(梅毒治療薬)を輸入販売している。さらに1912年には強心剤「ヂギタミン」、1917年には睡眠鎮静剤「ドルミン」、1918年には下剤「ラキサトール」などを次々と製造販売する。また家庭用医薬品として、1926年に皮膚病新薬「オイロ」、1929年に水虫専用薬「ポンホリン」、1931年に痔薬「カヴィドール」、1933年に狭心症薬「ハセスロール」などの製品を販売する。この他、大日本臓器研究所(現:日本臓器製薬)が製造していた増血薬「マスチゲン」を取り扱ったり、また独・バイエル社の代表的薬品として知られるアスピリンのライセンスを得て、「シオノアスピリン錠」として、国内で製造販売するなどしていたことがある。
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