周辺地域の被害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 23:44 UTC 版)
熊谷市が空襲を受けた8月14日深夜には近郊の都市や村落でも空襲による被害を受けた。北埼玉郡忍町では40戸が焼失し3人が死亡、同下忍村では5戸が焼失、同埼玉村では翌朝に不発弾に接触し5人が死亡、大里郡中瀬村では13戸が被災し2人が死亡、同御正村では28戸が焼失し御正国民学校が被害を受けた。比企郡松山町ではヂーゼル機器松山工場に焼夷弾が投下されたが、『ヂーゼル機器40年史』は消火活動により被害には至らなかったとしている。 8月15日2時頃には児玉郡本庄町と同旭村でも空襲があり、本庄町では富士瓦斯紡績本庄工場、本庄国民学校、高層気象台本庄出張所が被害を受け1人が死亡、旭村では4戸が焼失した。本庄地域は熊谷と共に攻撃目標とされ29人が死亡した群馬県伊勢崎市(伊勢崎空襲)と距離的に近いが、『本庄市史』は両者の投弾点の規則性の違いから、熊谷での空襲を終えたB-29が基地への帰還の際に投下したものと推測している。 また、熊谷と伊勢崎に対する攻撃部隊は作戦終了後に左旋回し、静岡県賀茂郡下田町付近のポイントを経由して帰投するように定められていたが、帰投路付近の東京都西多摩郡古里村では民家が焼失するなど22人が被災、神奈川県小田原市では402戸が焼失し12人が死亡(小田原空襲)するなどの被害を受けた。前者は伊勢崎と下田とを結ぶ直線上、後者は熊谷と下田とを結ぶ直線上に近いが米軍側の報告書に記録はなく、日本側では余剰爆弾の投棄と見なされている。
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