名門復活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 00:19 UTC 版)
「1980-1981シーズンのNBA」の記事における「名門復活」の解説
ボストン・セルティックスの人事権を握るレッド・アワーバックは非常に貪欲な人物だった。1978年にラリー・バード入団が決まると、同じ年に名ポイントガードのネイト・アーチボルトとピート・マラビッチを獲得。マラビッチは引退してしまうものの、アーチボルト、大型フォワードのセドリック・マックスウェル、セルティックスの70年代黄金期を支えたデイブ・コーウェンスにバードが加わった前季のセルティックスは60勝を記録し、一時の低迷期を脱して一気に優勝候補に躍り出た。 それでも満足しなかったアワーバックはより優勝を確実なものにするため、このシーズンの前に大胆なトレードを行った。アワーバックは過去にバード入団に備えて、もう一つ手を打っていた。1979年にセルティックスのシステムにはマッチしていなかったかつてのオールスター選手であるボブ・マカドゥーを使って、デトロイト・ピストンズから将来のドラフト指名権を獲得していたのである。この指名権が、1980年のNBAドラフトでは全体1位指名権に化けていた。セルティックスには是が非でも手に入れたい選手が居た。ミネソタ大学のケビン・マクヘイルである。セルティックスはドラフトで彼を指名するだけで簡単にマクヘイルを獲得できたが、滅多に手に入らない1位指名権をただ単純に行使するアワーバックではなかった。アワーバックはドラフト前に、1位指名権を13位指名権と合わせてゴールデンステート・ウォリアーズに譲渡してしまったのである。見返りに得たのがセンターのロバート・パリッシュとドラフト3位指名権だった。低迷が続き、再建に本腰を入れたいウォリアーズにとって、このトレードは決して悪いものではなかった。パリッシュの後釜として、この年のドラフトの目玉である216cmの大型センター、ジョー・バリー・キャロルを指名できるからである。そしてウォリアーズはドラフトでキャロルを1位指名。2位指名権を持つユタ・ジャズはダレル・グリフィスを指名した。そしてアワーバックは目論見通り、ウォリアーズから受け取った3位指名権でマクヘイルを指名。セルティックスとアワーバックは、まんまと一度にパリッシュとマクヘイルを手に入れてしまったのである。一連のアワーバックの動きは「最も不公平なトレード」の烙印を押されるが、1978年のバード指名に奇策に続くアワーバックの妙技により、ラリー・バード、ロバート・パリッシュ、ケビン・マクヘイルと、後に史上最高のフロントコートと呼ばれるビッグスリーの役者がここに揃った。 パリッシュはデイブ・コーウェンスにかわって先発センターとなり、マクヘイルはセドリック・マックスウェルのバックアップを務めた。ますます充実した顔ぶれとなったセルティックスは、前季を上回る62勝を記録。プレーオフではカンファレンス決勝でフィラデルフィア・76ersを第7戦の末に破って前季の雪辱を果たし、5年ぶりのファイナル進出を果たした。
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