MVPの受賞とニックスの壁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 15:56 UTC 版)
「デイブ・コーウェンス」の記事における「MVPの受賞とニックスの壁」の解説
翌1971-72シーズンには前年度は.422だったフィールドゴール成功率を.484まで改善し、平均18.8得点15.2リバウンドの成績を記録。オールスターゲームにも初出場し、14得点20リバウンドを記録。残り11秒には試合をタイに戻す貴重なジャンプショットを決めたが、地元ロサンゼルス開催のロサンゼルス・レイカーズのジェリー・ウェストに劇的なブザービーターを決められ、コーウェンスのイーストチームは110-112で敗北した。セルティックスはさらに成績を伸ばし、カンファレンス1位となる56勝26敗を記録。ラッセル引退から3年目にして早くも名門復活を遂げた。コーウェンス初のNBAプレーオフでは、1回戦でルー・ハドソンや同期のピート・マラビッチ擁するアトランタ・ホークスを4勝2敗で降すが、カンファレンス準決勝では下位シードのニューヨーク・ニックスの前に1勝4敗で敗退する。このウィリス・リード、ウォルト・フレイジャーら豪華メンバーを擁するニックスは、優勝を目指す新生セルティックスの前に立ちはだかる強力なライバルとなった。 3年目の1972-73シーズン、コーウェンスは全盛期を迎えた。平均20.5得点16.2リバウンド4.1アシストと素晴らしい成績を残し、さらにコーウェンスの優れたリバウンドによってチームのお家芸であるファストブレークにさらに磨きが掛かったセルティックスは勝ちに勝ちまくり、他のチームを圧倒する68勝14敗の成績を残した。勝率.829はビル・ラッセル時代にも、さらにこの後の時代にも達成されていない、セルティックスのフランチャイズ記録である。自身もチームも会心の成績を残したコーウェンスはシーズンMVPを受賞した。しかし、そのシーズンのリーグ最高の選手と認められながらも、オールNBAチームの選考では2ndチームの選出だった(1stチームのセンターはカリーム・アブドゥル=ジャバー。なお、当時のMVPは選手による投票で決められていた)。MVPを受賞者の2ndチーム選出は、ビル・ラッセルに続いて史上2例目だった。コーウェンスはさらに15得点13リバウンドをあげたオールスターでもMVPを受賞している。少なくともレギュラーシーズン中は最高のシーズンを過ごしていたコーウェンスとセルティックスだったが、しかしプレーオフでは再びニックスが立ちはだかった。カンファレンス決勝でのニックスとの対決は、最終第7戦までもつれる接戦となったが、ハブリチェックが脚を負傷してしまい、第7戦のセルティックスはニックスの強力ディフェンスの前に78得点に封じ込められ、2年連続でニックスの前に敗退した。ファイナルに勝ち進んだニックスはロサンゼルス・レイカーズを破って優勝を遂げている。
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