名門貴族の家柄
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「クラウス・フォン・シュタウフェンベルク」の記事における「名門貴族の家柄」の解説
シュタウフェンベルク家(Stauffenberg)の歴史は13世紀のシュヴァーベンに遡る。同地を統治していたツォレルン伯爵家に仕えていた貴族が「給仕」(Schenk シェンク)に任じられたのを機に「シェンク」を代々の家族名にしたことに始まる。この貴族は苗字を様々に名乗ったが、その一つに「シュタウフェンベルク」があった。これはシュヴァーベンの山の名前から取ったものであった。15世紀末に「シェンク・フォン・シュタウフェンベルク」が永続的な家名となった。シュタウフェンベルク家をシュタウフェン朝と結び付ける伝承もある。 シュタウフェンベルク家の栄進は、1698年に神聖ローマ皇帝レオポルト1世により男爵(Freiherr)の世襲爵位を授与されたのにはじまる。その後シュタウフェンベルク男爵家は四流に分かれた。しかしうち二流は18世紀中に断絶し、ヴィルフリンゲン(Wilflingen)を所領とするシュタウフェンベルク男爵家とアーメルディンゲンを所領とするシュタウフェンベルク男爵家の二流のみが残った。1791年にはヴィルフリンゲンを所領とするシュタウフェンベルク男爵家が皇帝レオポルト2世から帝国伯爵(Reichsgraf)に叙されたが、この帝国伯爵家は1833年に絶えている。結局アーメルディンゲンを所領とするシュタウフェンベルク男爵家のみが残った。同男爵家はアーメルディンゲンに加えて、17世紀と18世紀にグライフェンシュタイン(Greifenstein)、イェッティンゲン(Jettingen)、ラウトリンゲン(Lautlingen)などを所領としていった。 アーメルディンゲン・シュタウフェンベルク家のフランツ・ルートヴィヒ・シェンク・フォン・シュタウフェンベルク(Franz Ludwig Philipp Schenk von Stauffenberg)は、1874年にバイエルン王国国王ルートヴィヒ2世から伯爵(Graf)の世襲爵位を授与された。以降フランツ・ルートヴィヒの子孫のシュタウフェンベルク家は伯爵家となった。 フランツ・ルートヴィヒの長男はクレメンスである。そしてクレメンスの次男にあたるのが、クラウスの父であるアルフレート・シェンク・フォン・シュタウフェンベルク伯爵(Alfred Schenk Graf von Stauffenberg)であった。アルフレートはシュタウフェンベルク家の所領のうち、ヴュルテンベルク王国領に属するラウトリンゲンを所領としていた。なおシュタウフェンベルク家は代々カトリックである。
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